6月7日〜8日 更生日記(9工場の日常 厳しい受刑生活)

6月7日

運動にて外周を17周走った。

近藤さんには川越に残るとなったから頑張って!!と言われた。

いや、訓練は、落ちても、達年移送があるのでラストスパートです!と伝えた。

この人とは本当に話をせず生活しているけど対応は結構いい感じに話しかけてくる。

工場内の話しかしませんが、受刑生活の中での短い付き合いなのでしょうがないと思いました。

昨日の帽子は朝ロッカーから出してすぐ見つかった、あんなに悩んだのは本当に意味のないことだった。

 

独居は考え出したら止まらなくなる、1日をしっかり生活することが大切だと思った。

あと運動をやれば、つかれてストレスも減って行きます。

今日から12工で世話になっていた平野さんの真似をして、日記の字を小さい字で日記を書いていくことにした。

9工場も残り生活少なくなってきたし人間関係も良好だし今1番生活しやすいと思います。

出所してから同窓会をやるとか話しているけど、絶対行くことはないと思います、小松さんが考えたみたいですが松尾にいこうと誘われたけど川越少年刑務所は俺にとって苦の場所以外何もない。

達年されたらどこに行くのかな?移送まで遠くもないけど近くもないと言っていた。

1ヶ月くらいかな?本当に面倒ですね、あいつは。

6月8日

また面倒なのが始まりました。

担当が訓練生を標的にして、だらしないとか言い訳にするなとか一方的なのが出てきました。

いきなり工場で怒り出すわ、生産の人に言ってないようだけど聞いてるこっちはいい気分がしないです。

達年を希望してよかったと思う。

あいつの下にいたら絶対調査になると思う、指導表ばかり書くことになると思う。ずっと人のあらを探して、ウロウロしていて見つけようものなら吊るし上げられます。今までの担当の山北は、自動車整備工場という特殊な工場だから危険が伴うぶん、声の掛け合いはOKだったけど、今の矢口は、そんなのも許されずに厳しい監視が続いています。

作業中に作業と休憩どっちが先なんだとか言ったり結局は結果論ばかり言って、本人も違えに気づいたのか、怒ったことに対しての言い訳ばかりを帰りに言っていた。

きっと訳のわからないことでひけなくなっているのがみえみえだよ。

 

 

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