平成23年2月2日〜22日(日々問題だらけの9工場)

2月2日

今日は色々なことがあった、エース(外国人受刑者)に配食着の畳方を注意されるし腹の立つことが多かった。

斉藤はノートを何も言ってこないで願い事で先生に渡さずに俺が言われるわでストレスが溜まった。

俺に原因があるのか?それとも目につくポジションだからなのかはわからないけど心がおれ暴れそうになることがある。

下からの突き上げ、気にしててはだめだ。

ここは刑務所だ、問題児の塊だ、負けてはだめだ、逃げてはだめ。

 

2月4日

今のラストスパートでは(訓練が終わる時)訓練生が終わった後に仕事が変わるってことでコバ、長内、小松、石塚あたりが手を組んで洗車のやり方がバラバラなのが嫌だと言ってきた。

不満なんてのは誰でもあるし高圧な言い方で話をされたら聞けるものも聞けなくなります。

月曜に話をしなくてはならない。

 

2月6日

今日は本当に疲れた、運動中に磯部さんと話をしたのですがお互い言いたいことを言い合えました。

私が悪いところは頭を下げた。

磯部さん

①配食中の毛が入っていた事!

②ソフトの時のオヤジに行ったこと!

③洗車の表の付け方について!

①人がいる前でけなしたりすること!

②話す内容が私に対しての文句か注意のこと!

上の話しをしてモヤモヤは取れた、あとは洗車については考えていこうと思います。

 

2月7日

朝から磯部さんが訓練生と私の間に入って話をまとめてくれました。

全員の意見として洗車について考えて欲しいとのことでしたがオヤジに相談したところなんでオヤジなんですか?ってことになり、またオヤジはこっちで決めてってことになりました。

本当に中間に挟まれ山北オヤジを信じたところ大変な目にあった。

しかし私は計算係として担当オヤジにお世話になっているので信じるしかない。

けど今回は担当のオヤジと私の考えも少し違う気がした。

母が面会に来てくれたのですが本当に嬉しかった!元気そうで首には切った傷がありました。

面会はオヤジの立ち合いがなくて話しやすかったが周りの話を聞けた。

公美が入院していたようです。

2月13日

川越の9工場に来てずっと私の先輩だった磯部さんがしゃく班に行くことになりました。

この人は自分の言葉にすごい自信を持っており1度言ったら聞かず私とは反目に近い関係でした。

他の人には笑って話すのに私には小馬鹿にするような言い方をしてきました。

しかし最後に2人で話し互いの嫌なところを話あった。一応は関係は治ったのですがやっぱり苦手な人でした。

いやいやで係につき、まとめなくてはならない立場にされて、川越少年刑務所にいなくて良い年齢で担当に言われて残ったのに、私の同期訓練生も一人もいないので、大変すぎます。

明日はこの人と最後の別れの日です。

どうなるかな?この工場。。。

2月14日

磯部が出て行った、全員に一言述べて行ったのですが私には頑張っている私に頑張れというのはおかしいけど頑張れと言っていた。

気持ち的にようやく落ち着きまして工場の流れが変わった。

私、近藤、佐藤が1つにまとまった。

配食は

佐藤さん(訓練生のしっかりした人)になりこれから独居の配食は2人出ることになった。話に聞くと苦労は、全員しているらしいが、常識が通じないこの川越での生活は、我慢ばかりだと互いに話していました。

 

2月22日

歯が痛み出したのは土曜日からでした、月曜に工場に行くなりオヤジに歯のことを伝え抗生物質が欲しいと言ったら「だめ」と返事がきました。

この日は運動で走っていて歯が痛いと言っているのにもっと早く走れと言われて、歯が痛くてどうしよもないと伝えたところ今の痛みどめだけでと言われた。

そして夜は全然眠れずに朝を迎えると顔は大きく腫れ上がり熱も38’6まで上がった。

ようやく抗生物質も出たのですが本当にこのような場所ではなかなか対応してもらえず医療機関の改善をしてもらいたいです。

金曜日に一応歯科治療を頼みました。

磯部がいなくなり工場内部の空気はより良くなってきている。

私に対して「訓練生が私を出そうとしている」などと言ってきていちいち言わなくていいことをなんのために伝えたのか?

私が不正をしなければそんなことできるはずないのに、、、。でも今まで通ってきたことに比べれば、なんてことないです。

小松さんじゃないけど変わっていた私も思います。

 

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